E06-HALKA
作品タイトル:レッツゴーニ匹
小さい頃我が家には家の決まりがあり、家族同士が作ってきたルールをみんなが守ることにより安心感を保っていた。
親の価値観が優先され、時には外傷的、心的なストレスを感じることもあったが、外の世界を知らない私 にとっては、その秩序を守ることが重要だった。
大人はあまり好きじゃなかったけれど、大人と一緒にいることを好む女の子で、そうしていつか私も大人になるのだろうなと思い描いていた。
しかし、少女から大人にさしかかる時期を迎え、それまでは素直に受け入れてきた親や周りの大人たちの言動に対し、自分の考えを主張するようになる。大人の価値観や倫理から見れば悪とされることに耐えられなくなり、焦り、苛立ち、どこか不自然になっていく。 「自分が一体何者で、何をしようとしているのか」と自問し続ける日々を過ごしていた。
大人からも同世代からも少しずつ距離を取り始め、時折押し寄せる底なし沼のような寂しさと強烈な孤独感が、他人を、自分自身をも信用できなくしてしまう。
「自分は自分でコントロールできるようになりたい」という強い欲求のエネルギーの矛先、「模範となるモデル」を求めていたのだ。物語や映画の中、あるいは音楽や絵画の世界へと広がっていくことで、そのヒントを得ることもあるかもしれない。写真を始めたのもその頃だった。
「私らしさ」なんてものは10人いれば10通りできるくらいに、人は人の都合で見ている。それらには善も悪もなく、ただただ相手の主観で心地良いか悪いかにふるいわけられ、世間一般的に言われる「らしさ」ばかりが優先的に認められていく。それは、自分の自惚れとナルシズムは創作の原動力になる一方で、それらを決して信じてはいけないという戒めでもあるかのようだった。
そのような時期に1組のユニークな親子と出会った。
私と同世代の彼女は、アメリカ人と日本人の八ーフだ。最初はそのフォトジェニックな容姿に惹かれて、私は彼女を撮るようになった。祖母に育てられ、18歳で家出をし、19歳で結婚。娘が2歳になる頃にシングルマザーとなり、アメリカへと移住していった。そんな波乱万丈な生い立ちを持ち、奇抜なファッシヨンセンスと派手なメイクも手伝ってか、そのアウトローな存在感と、一匹狼のような性格は「母親」というステレオタイプから逸脱しているものの、彼女は自分らしさを貫いていた。
そして、大人の世界と子供らしい無邪気さとの狭間で、自分なりに折り合いをつけながらママの後ろ姿を追いかけ続ける娘の姿は、大人でもあり、子どもでもある母親自身がそのままそっくり投影されているかのようだった。
このユニークな親子は、少女と大人の狭間で思い悩む自分自身を、2人同時に見ているようで、新鮮に感じる反面、どこか安心するような共感すら覚えた。
また、彼女たちのようなシングルファミリーは今では珍しくない。
私の高校時代では、実にクラスメイトの3分の1がシングルファミリーだった。そうしたお互いの家族形態はごく自然に話し合われ、世間体を意識したタブーという認識はほとんど感じなかった。家族という社会を構成する基礎的集団の「個人化」が進んでいるのを、目の当たりにしているようでもあった。
変化は音もなく静かに訪れるが、カメラで切り取り、切り取ったものたちを深く見返すことで、変化の瞬間を知覚する猶予が、そこではじめて与えられるように思う。
変化し続ける社会に、柔軟性と融通性が求められる中、なんとかうまくやっていく懸命な親子の姿を追いかけ続けて3年が経った。
見えている対象は異国の風景のような、新鮮さがあるのに対し、見ている時の気持ちは、家族アルパムを開いたときのような温かい気持ちに包まれる。
不意に耳にするレッツゴーニ匹というおまじないのようなフレーズを唱えながら、2人は日々変化し続けて、こちらを飽きさせない。
HALKA
高校生の写真藝術部入部をきっかけに写真を始める。
現在東京を拠点にフォトグラファーとして活動中。
2010年 全国高等学校写真選手権大会 準優勝
2011年 全国高等学校写真選手権大会 優勝
2015年 写真新世紀2015年度(第38回公募) 優秀賞
2015年 キヤノン写真新世紀東京展
2015(代官山ヒルサイドフォーラム・東京)
2016年 大阪成城高校写真藝術部卒業生による 写真新世紀受賞者4人展「それぞれの 時」(PIAS GALLERY・大阪)
2016年 御苗場vol.19関西 優秀賞
2017年 御苗場vol.19関西 夢の先プロジェクト第10弾 グランプリ
2017年 New age photography 夢の先プロジェクト審査展(72Gallery・東京)
小さい頃我が家には家の決まりがあり、家族同士が作ってきたルールをみんなが守ることにより安心感を保っていた。
親の価値観が優先され、時には外傷的、心的なストレスを感じることもあったが、外の世界を知らない私 にとっては、その秩序を守ることが重要だった。
大人はあまり好きじゃなかったけれど、大人と一緒にいることを好む女の子で、そうしていつか私も大人になるのだろうなと思い描いていた。
しかし、少女から大人にさしかかる時期を迎え、それまでは素直に受け入れてきた親や周りの大人たちの言動に対し、自分の考えを主張するようになる。大人の価値観や倫理から見れば悪とされることに耐えられなくなり、焦り、苛立ち、どこか不自然になっていく。 「自分が一体何者で、何をしようとしているのか」と自問し続ける日々を過ごしていた。
大人からも同世代からも少しずつ距離を取り始め、時折押し寄せる底なし沼のような寂しさと強烈な孤独感が、他人を、自分自身をも信用できなくしてしまう。
「自分は自分でコントロールできるようになりたい」という強い欲求のエネルギーの矛先、「模範となるモデル」を求めていたのだ。物語や映画の中、あるいは音楽や絵画の世界へと広がっていくことで、そのヒントを得ることもあるかもしれない。写真を始めたのもその頃だった。
「私らしさ」なんてものは10人いれば10通りできるくらいに、人は人の都合で見ている。それらには善も悪もなく、ただただ相手の主観で心地良いか悪いかにふるいわけられ、世間一般的に言われる「らしさ」ばかりが優先的に認められていく。それは、自分の自惚れとナルシズムは創作の原動力になる一方で、それらを決して信じてはいけないという戒めでもあるかのようだった。
そのような時期に1組のユニークな親子と出会った。
私と同世代の彼女は、アメリカ人と日本人の八ーフだ。最初はそのフォトジェニックな容姿に惹かれて、私は彼女を撮るようになった。祖母に育てられ、18歳で家出をし、19歳で結婚。娘が2歳になる頃にシングルマザーとなり、アメリカへと移住していった。そんな波乱万丈な生い立ちを持ち、奇抜なファッシヨンセンスと派手なメイクも手伝ってか、そのアウトローな存在感と、一匹狼のような性格は「母親」というステレオタイプから逸脱しているものの、彼女は自分らしさを貫いていた。
そして、大人の世界と子供らしい無邪気さとの狭間で、自分なりに折り合いをつけながらママの後ろ姿を追いかけ続ける娘の姿は、大人でもあり、子どもでもある母親自身がそのままそっくり投影されているかのようだった。
このユニークな親子は、少女と大人の狭間で思い悩む自分自身を、2人同時に見ているようで、新鮮に感じる反面、どこか安心するような共感すら覚えた。
また、彼女たちのようなシングルファミリーは今では珍しくない。
私の高校時代では、実にクラスメイトの3分の1がシングルファミリーだった。そうしたお互いの家族形態はごく自然に話し合われ、世間体を意識したタブーという認識はほとんど感じなかった。家族という社会を構成する基礎的集団の「個人化」が進んでいるのを、目の当たりにしているようでもあった。
変化は音もなく静かに訪れるが、カメラで切り取り、切り取ったものたちを深く見返すことで、変化の瞬間を知覚する猶予が、そこではじめて与えられるように思う。
変化し続ける社会に、柔軟性と融通性が求められる中、なんとかうまくやっていく懸命な親子の姿を追いかけ続けて3年が経った。
見えている対象は異国の風景のような、新鮮さがあるのに対し、見ている時の気持ちは、家族アルパムを開いたときのような温かい気持ちに包まれる。
不意に耳にするレッツゴーニ匹というおまじないのようなフレーズを唱えながら、2人は日々変化し続けて、こちらを飽きさせない。
HALKA
高校生の写真藝術部入部をきっかけに写真を始める。
現在東京を拠点にフォトグラファーとして活動中。
2010年 全国高等学校写真選手権大会 準優勝
2011年 全国高等学校写真選手権大会 優勝
2015年 写真新世紀2015年度(第38回公募) 優秀賞
2015年 キヤノン写真新世紀東京展
2015(代官山ヒルサイドフォーラム・東京)
2016年 大阪成城高校写真藝術部卒業生による 写真新世紀受賞者4人展「それぞれの 時」(PIAS GALLERY・大阪)
2016年 御苗場vol.19関西 優秀賞
2017年 御苗場vol.19関西 夢の先プロジェクト第10弾 グランプリ
2017年 New age photography 夢の先プロジェクト審査展(72Gallery・東京)